霧下そば焼酎
信濃の仁右衛門
黒 姫

そば畑

信州黒姫霧下そば倶楽部発足

 平成10年、テレビ「どっちの料理ショー」で6月4日に全国放送された「冷やし中華VS天ざる対決」での、究極の「そば粉」をさがして、番組スタッフは、信州黒姫高原へたどり着きました。
 しかし、時期が悪かった事もありますが、「黒姫産霧下そば」といわれる「そば粉」は、収穫されるとすぐに、東京・名古屋方面の割烹・高級そば店等に多く出荷されるため、なかなか「そば粉」が確保出来ませんでした。最終的には黒姫の「たかさわ」というそば屋さんで粉を入手していました。
 黒姫高原で宿泊業を営む迫田(兵庫県出身)は、この放送をみて「入手しがたいほどの、素晴らしい、そば粉ならば、自分で作ってしまおう。」と宿泊業仲間に呼びかけ、「信州黒姫霧下そば倶楽部」が発足しました。

初めてのそば作り

 最高の「そば粉」を作るなら、なるべく機械を使わずに、とことん、こだわってみよう!。
 ・・・という事で、まず、地元農家から「そば畑」を約1反歩(300坪)借りて、トラクターで畑を耕しました(トラクターには宿で使うお米の収穫お手伝い等で乗車経験がありました)。
 その後、鍬(くわ)で「うね」を作り、手で種を筋状に蒔きました。夏には除草剤を使わずに手で草ひきを行い、秋に鎌で収穫し、天日干し(実を上にして櫓(やぐら)を組むように周囲約1メートルの束にします)のあと、ビニールシートの上でフォーク(牧場などで使われるイメージの巨大フォーク)でたたいて実を落として集め、手動で風をおこす「唐箕(とうみ)」でふるって、地元農家にお願いして石臼で粉にしました。文字通り、正真正銘手作りの「そば粉」です。
 初めてのそば作りでわからない事ばかりでしたが、地元農家の方々の助言や農機具の貸し出し等に支えられ、何とか粉までたどり着きましたが、この時点では仲間内で誰も蕎麦打ちはできませんでした(涙)。

鎌で収穫する大変さ

 完全手作業へのチャレンジで苦労したのは最後の刈り取り作業で、一日作業しても、わずかしか進まず、気候が変わって霜や雪の心配も出てきて、大急ぎでやっと収穫が完了した翌日、大雪で積雪40センチになりました。あと作業が1日遅れていたら・・・全部のそばを台無しにしてしまうところでした。
 この、教訓を生かし、地元そば農家の協力を得て、農機具やトラクターの手配も整いましたので、ひろく、「そば」を愛好する方々に本当の意味での「手うちそば」を味わってもらうため、「信州黒姫霧下そば倶楽部」では、平成11年より賛助会員募集活動を開始しました(現在中止しています)。
 地元の観光そば打ち体験教室や、蕎麦打ち体験指導者講習会への参加を重ね、自分で打った蕎麦を家族で楽しんだり、宿に泊まられたお客様にそば打ち体験をして頂けるようになりました。もちろん、それまでには何度も意に反して「うどん」「きしめん」「そうめん」「マカロニ」「団子」にしか見えない珍作品も多く出来上がりました(笑)。

農業の難しさ

 平成13年、蕎麦畑の面積も少しづつ広がり、10反歩(約3000坪)になりました。収穫までは、とても順調だったのですが、刈り取ったあと、実を落とす作業の時期に「雨」が続き(毎日でなくても、快晴の日が3日程度続いた後でないと、実が落ちにくく、乾燥も不十分で、粉にしても悪くなりやすくなってしまうのです)、思った以上に長期にわたり、収穫量も、昨年の半分以下でした。天日干ししたくても雨や霧の日が多く、最終的には黒姫高原から南へ約20km車で走ったところにある(宿の)提携林檎園の敷地内で蕎麦を広げさせて頂き、ようやく乾燥させる事が出来ました。
 信州黒姫霧下そば倶楽部賛助会員の方々には12月20日、そば粉5キロと、そばの実5キロを宅急便で送る事が出来ました(年越しそばにギリギリセーフ)。
 地元の生活改善グループの協力で、そば粉を使った「料理教室」を受講しました。

蕎麦塾との出会い

 平成14年から蕎麦畑の面積を一挙に21反歩(約6300坪)に広げ、そば作りを通しての農業体験を視野に入れての活動を展開しました。地元農家からお借りしていた唐箕もオークションで岡山県から保管状態の良い木製タイプを入手する事ができ、平成15年秋には日本生活協同組合(COOP)のグリーンライフ企画で蕎麦収穫体験ツアーが紹介されるなどの成果が出てまいりました。
 また、手打ちそばを趣味としている人達が集う、手打ちそばのコミュニティサイト「蕎麦塾」のメーリングリストに参加させて頂いています。手打ちそばに段位認定がある事や、日本の石臼に変わり製粉に使えるオクタゴンの事など沢山の情報を得る事が出来ました。
 信州黒姫霧下そば倶楽部
では、蕎麦塾MLメンバーに毎秋収穫したての玄蕎麦をプレゼント提供しています。

またMLを通じて、多年草の宿根蕎麦の株を分けて頂き、黒姫高原で育てています。やはり蕎麦に適した気候なのか、毎年株を増やし、真っ白な花を沢山つけて楽しませてくれます(宿根のためか、実はできません)。

大切な人達との出会い。そして、焼酎へ…。

 平成15年、冷夏の影響か9月の天候不順が原因かわかりませんが、そばの花は満開だったにも関わらず、蕎麦の収穫量は昨年比7割減でした。宿で使う分量を確保し、注文頂いた方々へは事情を説明してご希望の約半分の出荷で御了承頂きました(すみません)。
 そんな時、JR黒姫駅前にある萬屋酒店の高橋憲さんの紹介で、伴野酒造株式会社の伴野賢一社長と息子の貴之さんにお会い出来ました。今までにも信州佐久で乙類そば焼酎「信濃の仁右衛門」を本数限定で作られていたのですが、手打ち蕎麦の玄蕎麦としても最高級の品質である黒姫高原産の霧下そばを天日で乾燥させた「生産者の顔が見える本物素材」を使っての焼酎作りにご協力頂く事になりました。
 今まで、地元の蕎麦処や、クチコミで蕎麦生産の話しを聞かれた都会の蕎麦店の方などへ玄蕎麦を出荷したことがありましたので、焼酎の場合も同じように玄蕎麦(殻付の状態)での納品を予定していたのですが、実際には殻を外した丸抜き(白い粒の状態)で納品し、蒸してから醸造が始まるとの事で、急遽殻を外す機械を探しました。約1トンもの玄蕎麦を磨いてふるいにかけて殻を外すので、小さな石臼では対応しきれず、途方に暮れていたところ、某製粉会社さんにご理解とご協力を頂き、無事丸抜きの蕎麦を納品する事ができました(しかし、当然の事ですが重量にして約3割は減ってしまい、伴野さんにはご無理を申し上げました)。

6年かかって農業者に…

 平成16年、念願だった信濃町農業委員会認定の農業者になる事ができ、JA(農協)のメンバーにも入る事ができました。今年度から農業者確定申告も行います。耕作面積は昨年より少し減って18反歩(5400坪)ですが、今後は直接農家から畑の借用や購入も可能になるので、楽しみが広がりつつあります。

信州黒姫霧下そば倶楽部